みんな仲良く 四天王寺
日本史で習った日本最古の官寺「四天王寺」
建立は推古天皇元年(593)で、 今から1400年以上も前。
『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
聖徳太子十七條憲法の第一條「和を以って貴しとなす」の「和」の「和宗」の総本山。
今は天王寺駅近くの雑踏の中にありますが、当時はすぐ近くまで海があったそうです。
お彼岸のころは西大門(極楽門)に夕日が沈み、鳥居越しに沈む夕日のかなたに浄土があると信じられる「日想観」が信じられていたそうだ。
この石鳥居の扁額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と記されている。これは『 おシャカさんが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である』の意。
この後に行った飛鳥の橘寺のおじさまに教えていただいたんだけど、その日想観から極楽浄土を祈って入水する人々がたくさんいたとか。
今は天王寺駅近くの雑踏の中にありますが、当時はすぐ近くまで海があったそうです。
お彼岸のころは西大門(極楽門)に夕日が沈み、鳥居越しに沈む夕日のかなたに浄土があると信じられる「日想観」が信じられていたそうだ。
この石鳥居の扁額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と記されている。これは『 おシャカさんが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である』の意。
この後に行った飛鳥の橘寺のおじさまに教えていただいたんだけど、その日想観から極楽浄土を祈って入水する人々がたくさんいたとか。
聖徳太子なしに日本の仏教は語れないなぁって今回の旅では実感しました。
行動の外陣には聖徳太子を中心に、日本の仏教界をリードした高僧たちの掛け軸が並んでいる。
平安時代天台宗を伝えた最澄、真言宗を伝えた空海、鎌倉時代の法然、親鸞、日蓮、道元、一遍。
宗派を超えた高僧像が一堂に会するのは四天王寺の「和」を象徴しているようだ。
行動の外陣には聖徳太子を中心に、日本の仏教界をリードした高僧たちの掛け軸が並んでいる。
平安時代天台宗を伝えた最澄、真言宗を伝えた空海、鎌倉時代の法然、親鸞、日蓮、道元、一遍。
宗派を超えた高僧像が一堂に会するのは四天王寺の「和」を象徴しているようだ。